ID:snmyatoの記録

妖精の落とし穴

 それは、とある世界の極東の国で神隠しとも呼ばれている現象。
妖精が住むとされる世界と、自分たちが住む世界には隔たりがあるが、限りなく薄くなっている箇所が存在する。
そういった場所は妖精の通り道と言われて、人間の世界へ大小様々な変化を齎す。
通常であれば、そこは酷く狭く。神秘の欠片である妖精残滓は通れたとしても、人間が通れることはまずない。のだが。
 ごく稀に、その狭い道を通過して向こう側・・・・へ転げ落ちてしまう者がいたりする。

 己が妖精の落とし穴に落ちてしまったのは、今から約十年前。
孤児院での手伝い日課を終えて庭の片隅でひとり、寄贈された数少ない本を読んでいた時のこと。
 周囲の音が突然消えて本から顔を上げたら、そこは。

「…………え?」

 全く知らない場所だった。
風に揺れる沢山の花々は、院の庭や野に咲いているような素朴で小さな花ではなく。
きちんと手入れをされている艶やかな大輪の花ばかりで、まるで貴族の庭園のようだ。
どんな事情であれ、お偉い様の敷地に勝手に上がり込んだとあってはどんな罰が待っているか。想像もしたくない。
 慌てて本を閉じ、立ち上がろうとしたが。

「――ぁ、」

 しかし、それは叶わなかった。殴られたかのような強い衝撃に襲われ、地面に叩き付けられる。
実際はただその場に崩れ落ちただけなのだろうが。俯瞰で視ることなど不可能なのだから、当時の己がその真実を知る由はない。
 強かに打ちつけた肩や腕よりも、庇えたはずの頭が――耳の奥が。酷く痛む。


いたい、いたい、どうして、なんで、こんな、


訳が解らないまま、のたうち回り。どのくらいが経ったのだろう。


――なんで、こんなに、うるさい・・・・の。


 揺れ続ける世界の中で、漸く痛みが引いていく。
そうして認識したのは、暴虐なまでの " 音 " の奔流。


高く低く澄んだ濁った流れるひび割れた良く通る詰まる騒めくささめく数多のひとつの


 声。想い。――意思。
それは紛れもなく、ヒトが認識てはいけない存在もの。だった。


 その後のことはよく覚えていない。
いつの間にか孤児院の庭に戻ってきていて。同時に、気付いてしまった。

「…………欠けてる」

 風が伝える。が耳を震わせる。
聴こえているのに響く謳が聴こえない残響でしかない――この世界には大きな空洞・・がある、と。