ID:Roniaの記録
ウタカタのハナ 起
バケラウネ、という、植物型の魔物がいる。より正確にいえば、半動半植物型の魔物だろうか。
和名は『トリモドキバケモノアルラウネ』。つまりはアルラウネの仲間なのだが、『バケモノ』とついているように、その外見はお世辞にも可憐とはいえない。むしろ妖艶というほうが近い。
まず、下半身は大きな花と葉と無数の根っこでできているのだが、同じ種類の頭の花には大きな目がひとつだけあり、鳥の脚にも似た細い腕を一対持つ。
素早く移動するときや、獲物を狙う際にはこの腕を地につけるのだが、それが鳥の脚運びにも似ていることから『トリモドキ』がついたといわれている。
そしてなにより、太い茎には大きな口があり、おまけにするどい歯もびっしり生えている。つまり、捕食植物なのだ。魔物だからあたりまえなのかもしれないが。
極めつけは雑食性であり、栄養源として人間さえも喰らうという、『一般的なアルラウネ』とは似ても似つかぬほど、たいへん恐ろしく危険な魔物である。
――しかし、人間も一人ひとり個性がちがうように、中には『例外』と呼べる個体も存在するようで……。
◇
オレはしがない小説書き。
いつになっても小説家としてデビューできない、ただの一般人だ。
オレの書く小説は、世間一般にはいまいちうけないという。
いったい、なにがだめなんだ? なにがたりない? どうすればうける?
小説家になろう、と本格的に決意してから今日まで、頭の中はぐるぐると堂々巡りするばかり。
おまえには向いていないからあきらめろ、といわれたこともあった。
当時はそんなことあるか、と頭の中で怒ったものだが、現状がすべてを物語っていた。
だがそれでも、あきらめなかった。あきらめられなかった。あきらめきれなかった。
オレは小さいころから、小説が好きだった。
もちろんマンガも読んだし、ゲームも楽しんだりしたが、趣味と言われたら小説、というくらいには好きだった。
将来の夢にも『小説家』と書いてきた。いつかオレも、小説を出す側になるって、それで。
大人になったから、実現しようって、いままでずっとがんばってきたが、デビューできなきゃしょせんは特殊な能力も持たない人間、日雇いのアルバイトで食いつないでいくしかない。
今日も全没をもらったネームと買いもの袋を持って、とぼとぼと家に帰る最中だった。
いつまでも落ち込んじゃいられない。きもちを切り替えよう。今週がだめでも、来週、それがだめなら再来週、きっと、いつか。
市場でふたつ買ったうちのゼリー飲料をひとつ開けて、飲みながら次の小説のネタを考えることにした。
……いや、むしろ食生活を変えるべきなのか? ここ最近、ずっとゼリー飲料だのブロック栄養食だのしか食べてなかったし。でも時間が惜しいんだよなぁ。
と。あれこれ考えていた頭の中が、急に真っ白になった。
通り道。帰り道。
その脇道に、いつもならありえないものが、転がっていたのを、みたから。
カーネーションにしては、あきらかに大きすぎる花と、太い茎。
三本の指を持った、鳥の脚のような、黄色くて細い左腕。
下半身と右腕はなく、かなりの手負いのようだが、まちがいない。
――こいつ、『バケラウネ』だ!!
しかも、まだ生きている!!
ああ、素人目でもわかるよ、こいつはまだ死んでないってこと。
なぜならバケラウネという魔物は、死ねば即座にすべてが枯れ果てるからだ。
つまりこいつは、ほかの同種族との闘争に敗れた個体、ということだ。
それでも生き延びるために、わざわざこの人里近くまで這いずって降りてきたってわけか。
せめて意識を失っているのなら、足早にこの場をあとにできた、のだが。
オレの気配に気づいたのか、意識を取り戻したのか。
左腕が、ゆっくりと、震えながらもゆっくりと、動いた。
まずい! 気づかれた!
ぞっと背筋に悪寒が走ったオレをよそに、バケラウネはずる、ずる、と這いずりはじめた。
獲物が近くにいるんだ、左腕を脚代わりにして、オレのほうへ這いずってくるだろう。
そしてやはりそのとおりで、オレのほうへと、すこしずつ這いずってきている。
まちがいなく、オレを『捕食』するつもりだ。今の状態なら、とにかく栄養が必要なはずだから。
やばい。喰われる。殺される。
逃げなきゃ。逃げないと。逃げるんだ。
でも、人間って弱いいきものだ。
頭の中ではずっと警報が鳴り続けているのに、こんな状況にかぎって、身体は石のように動かない。
オレはまるで凍りついたように、ヘビに見込まれたカエルのように、動けなくなってしまった。
そうこうしているうちに、バケラウネは、固まっているオレのすぐ目の前まで、這いずってきた。
あとは、その異形の腕で掴むなり、起き上がるなりすれば、捕食できる範囲だ。
終わった。オレの人生。
いったい、なんだったんだろう。
別に売れっ子じゃなくてもいい、ただ、誰かの心を動かす物語を書きたくて、一生懸命に打ち込んで。
その末路がこれか。
こんなことなら、とっとと小説家をあきらめて、無難に嫁さんもらって、ふつうの生活をして、しあわせな家庭を築くべきだったなぁ……。
なん、て。すべてをあきらめようとした。
けれど。
目の前まで這いずってきたバケラウネが、それ以上動くことはなかった。
いや、正確にはまだ動いている。動いている、のだが。
……左腕が、これ以上、動かせない、ようだった。
もう、うまく力が入らないのかもしれない。
地面に突き立てたまま、震えているだけだった。
あーあ。いくらでも好機はあったのにな。
今のうちに、さっさと逃げればよかったのにな。
ばかなことを、やってしまったんだよな。
やっと動けるようになったオレは、その場にかがんだ。バケラウネとの距離を、自分から近づけたんだ。
それから、一度片手をあけて、恐る恐る、バケラウネの左腕に触れた。
軽く、やんわりと力を入れただけなのに、あっさりと押されて、バランスを崩して横に倒れた。
どうやら相当、衰弱しているらしい。頭の花びらの萎れ具合からみると、この個体はもうじき死ぬかもしれない。
――このままだったら。
あとで飲もうとしていたほうの、ゼリー飲料を開ける。
そしてそれを、そっとバケラウネに近づけてみた。
そういえばいったい、どこで捕食しているんだろう? と疑問を抱いた矢先。
太い茎にピッと線が入って、次の瞬間にはするどい歯が並ぶ口が、がぱりと開いた。
……いや、そこにあるんだ? 口。どう考えても捕食向きの構造しているし。
これ、オレの手持ってかれるかなぁ。一応利き手は反対なんだけど、持ってかれたら嫌だな。
そんな恐怖や不安とは裏腹に、ゼリー飲料を持ったオレの手が、喰われることはなく。
吸い出し口を、なんでも噛み砕けそうなその歯で、カチ、と弱々しく噛んだ。
吸い込む力も弱くなっていて、自力では吸い出すこともできなさそうか。
オレはぎゅ、ぎゅ、と押しつぶして、中のゼリー飲料をしぼり出してあげた。
さすがにそれを飲み込む力は残っていたようで、だが、ゆっくり流し込まなければ横からこぼれてしまいそうなくらいには、やはり弱かった。
なにやってるんだろうな。オレ。
――こんなの、自殺することと同じなのに。
でも、見捨てるにはどうやら、オレはやさしかったようだ。
バケラウネがゼリー飲料を飲み干すまで、ぎゅ、ぎゅ、と押しつぶして、ゆっくり流し込んでいった。
自分も先に開けたゼリー飲料を飲み干して、いったん落ちつくことにするか。
いやもうまったく落ちつけない状況だけど。
さて、これからどうしよう。なんて、考えるひまはなかった。
バケラウネはまだ、あきらめてはいなかったんだろう。
左腕を、ゆうらりと持ち上げたのがみえて。
オレはそのまま肩を。掴まれた。けど。
その力は、あまりにも、弱々しかった。
立つなり、抵抗すれば、かんたんに振り払えるくらいの、弱々しい力。
あるいは、震えていて、まるでオレに、しがみついているかのようで。
こんなに恐ろしい見た目なのに、その姿が、――あまりにも、痛ましくみえて。
そのときオレは、もっとちゃんと介護してやるべきかもしれない、と思った。
現在住んでいる人里は、夜になると、そこまで明るくならない。
せいぜい、玄関の明かりがぽつぽつと照らしているくらいだ。
暗くなってきた今なら、まさか魔物を連れ込んだって、バレないかもしれない。
まぁ、引きずって運ぶ必要があり……そうな気がしたが、その必要がないと気づいたのは、試しに持ち上げてみようと思ったときだった。
ひどく、軽かったんだ。重そうな見た目からは、想像もつかなかったくらいに。
オレの筋肉は平均的なつもりだけど、たぶん、もうすこし筋肉がない女性でも余裕で持ち上げられる。
枯れた、あるいは枯れかけの植物を持っている気分だった。これなら早く辿り着けるな。
オレはバケラウネを持ち上たまま、足早に、こっそりと自分の家へ帰っていった。
運ばれているあいだに、バケラウネは意識を失ったようなので、……いや、そもそもあっても騒ぐような機能がなさそうか。なんにせよ助かった。
◇
和名は『トリモドキバケモノアルラウネ』。つまりはアルラウネの仲間なのだが、『バケモノ』とついているように、その外見はお世辞にも可憐とはいえない。むしろ妖艶というほうが近い。
まず、下半身は大きな花と葉と無数の根っこでできているのだが、同じ種類の頭の花には大きな目がひとつだけあり、鳥の脚にも似た細い腕を一対持つ。
素早く移動するときや、獲物を狙う際にはこの腕を地につけるのだが、それが鳥の脚運びにも似ていることから『トリモドキ』がついたといわれている。
そしてなにより、太い茎には大きな口があり、おまけにするどい歯もびっしり生えている。つまり、捕食植物なのだ。魔物だからあたりまえなのかもしれないが。
極めつけは雑食性であり、栄養源として人間さえも喰らうという、『一般的なアルラウネ』とは似ても似つかぬほど、たいへん恐ろしく危険な魔物である。
――しかし、人間も一人ひとり個性がちがうように、中には『例外』と呼べる個体も存在するようで……。
◇
オレはしがない小説書き。
いつになっても小説家としてデビューできない、ただの一般人だ。
オレの書く小説は、世間一般にはいまいちうけないという。
いったい、なにがだめなんだ? なにがたりない? どうすればうける?
小説家になろう、と本格的に決意してから今日まで、頭の中はぐるぐると堂々巡りするばかり。
おまえには向いていないからあきらめろ、といわれたこともあった。
当時はそんなことあるか、と頭の中で怒ったものだが、現状がすべてを物語っていた。
だがそれでも、あきらめなかった。あきらめられなかった。あきらめきれなかった。
オレは小さいころから、小説が好きだった。
もちろんマンガも読んだし、ゲームも楽しんだりしたが、趣味と言われたら小説、というくらいには好きだった。
将来の夢にも『小説家』と書いてきた。いつかオレも、小説を出す側になるって、それで。
大人になったから、実現しようって、いままでずっとがんばってきたが、デビューできなきゃしょせんは特殊な能力も持たない人間、日雇いのアルバイトで食いつないでいくしかない。
今日も全没をもらったネームと買いもの袋を持って、とぼとぼと家に帰る最中だった。
いつまでも落ち込んじゃいられない。きもちを切り替えよう。今週がだめでも、来週、それがだめなら再来週、きっと、いつか。
市場でふたつ買ったうちのゼリー飲料をひとつ開けて、飲みながら次の小説のネタを考えることにした。
……いや、むしろ食生活を変えるべきなのか? ここ最近、ずっとゼリー飲料だのブロック栄養食だのしか食べてなかったし。でも時間が惜しいんだよなぁ。
と。あれこれ考えていた頭の中が、急に真っ白になった。
通り道。帰り道。
その脇道に、いつもならありえないものが、転がっていたのを、みたから。
カーネーションにしては、あきらかに大きすぎる花と、太い茎。
三本の指を持った、鳥の脚のような、黄色くて細い左腕。
下半身と右腕はなく、かなりの手負いのようだが、まちがいない。
――こいつ、『バケラウネ』だ!!
しかも、まだ生きている!!
ああ、素人目でもわかるよ、こいつはまだ死んでないってこと。
なぜならバケラウネという魔物は、死ねば即座にすべてが枯れ果てるからだ。
つまりこいつは、ほかの同種族との闘争に敗れた個体、ということだ。
それでも生き延びるために、わざわざこの人里近くまで這いずって降りてきたってわけか。
せめて意識を失っているのなら、足早にこの場をあとにできた、のだが。
オレの気配に気づいたのか、意識を取り戻したのか。
左腕が、ゆっくりと、震えながらもゆっくりと、動いた。
まずい! 気づかれた!
ぞっと背筋に悪寒が走ったオレをよそに、バケラウネはずる、ずる、と這いずりはじめた。
獲物が近くにいるんだ、左腕を脚代わりにして、オレのほうへ這いずってくるだろう。
そしてやはりそのとおりで、オレのほうへと、すこしずつ這いずってきている。
まちがいなく、オレを『捕食』するつもりだ。今の状態なら、とにかく栄養が必要なはずだから。
やばい。喰われる。殺される。
逃げなきゃ。逃げないと。逃げるんだ。
でも、人間って弱いいきものだ。
頭の中ではずっと警報が鳴り続けているのに、こんな状況にかぎって、身体は石のように動かない。
オレはまるで凍りついたように、ヘビに見込まれたカエルのように、動けなくなってしまった。
そうこうしているうちに、バケラウネは、固まっているオレのすぐ目の前まで、這いずってきた。
あとは、その異形の腕で掴むなり、起き上がるなりすれば、捕食できる範囲だ。
終わった。オレの人生。
いったい、なんだったんだろう。
別に売れっ子じゃなくてもいい、ただ、誰かの心を動かす物語を書きたくて、一生懸命に打ち込んで。
その末路がこれか。
こんなことなら、とっとと小説家をあきらめて、無難に嫁さんもらって、ふつうの生活をして、しあわせな家庭を築くべきだったなぁ……。
なん、て。すべてをあきらめようとした。
けれど。
目の前まで這いずってきたバケラウネが、それ以上動くことはなかった。
いや、正確にはまだ動いている。動いている、のだが。
……左腕が、これ以上、動かせない、ようだった。
もう、うまく力が入らないのかもしれない。
地面に突き立てたまま、震えているだけだった。
あーあ。いくらでも好機はあったのにな。
今のうちに、さっさと逃げればよかったのにな。
ばかなことを、やってしまったんだよな。
やっと動けるようになったオレは、その場にかがんだ。バケラウネとの距離を、自分から近づけたんだ。
それから、一度片手をあけて、恐る恐る、バケラウネの左腕に触れた。
軽く、やんわりと力を入れただけなのに、あっさりと押されて、バランスを崩して横に倒れた。
どうやら相当、衰弱しているらしい。頭の花びらの萎れ具合からみると、この個体はもうじき死ぬかもしれない。
――このままだったら。
あとで飲もうとしていたほうの、ゼリー飲料を開ける。
そしてそれを、そっとバケラウネに近づけてみた。
そういえばいったい、どこで捕食しているんだろう? と疑問を抱いた矢先。
太い茎にピッと線が入って、次の瞬間にはするどい歯が並ぶ口が、がぱりと開いた。
……いや、そこにあるんだ? 口。どう考えても捕食向きの構造しているし。
これ、オレの手持ってかれるかなぁ。一応利き手は反対なんだけど、持ってかれたら嫌だな。
そんな恐怖や不安とは裏腹に、ゼリー飲料を持ったオレの手が、喰われることはなく。
吸い出し口を、なんでも噛み砕けそうなその歯で、カチ、と弱々しく噛んだ。
吸い込む力も弱くなっていて、自力では吸い出すこともできなさそうか。
オレはぎゅ、ぎゅ、と押しつぶして、中のゼリー飲料をしぼり出してあげた。
さすがにそれを飲み込む力は残っていたようで、だが、ゆっくり流し込まなければ横からこぼれてしまいそうなくらいには、やはり弱かった。
なにやってるんだろうな。オレ。
――こんなの、自殺することと同じなのに。
でも、見捨てるにはどうやら、オレはやさしかったようだ。
バケラウネがゼリー飲料を飲み干すまで、ぎゅ、ぎゅ、と押しつぶして、ゆっくり流し込んでいった。
自分も先に開けたゼリー飲料を飲み干して、いったん落ちつくことにするか。
いやもうまったく落ちつけない状況だけど。
さて、これからどうしよう。なんて、考えるひまはなかった。
バケラウネはまだ、あきらめてはいなかったんだろう。
左腕を、ゆうらりと持ち上げたのがみえて。
オレはそのまま肩を。掴まれた。けど。
その力は、あまりにも、弱々しかった。
立つなり、抵抗すれば、かんたんに振り払えるくらいの、弱々しい力。
あるいは、震えていて、まるでオレに、しがみついているかのようで。
こんなに恐ろしい見た目なのに、その姿が、――あまりにも、痛ましくみえて。
そのときオレは、もっとちゃんと介護してやるべきかもしれない、と思った。
現在住んでいる人里は、夜になると、そこまで明るくならない。
せいぜい、玄関の明かりがぽつぽつと照らしているくらいだ。
暗くなってきた今なら、まさか魔物を連れ込んだって、バレないかもしれない。
まぁ、引きずって運ぶ必要があり……そうな気がしたが、その必要がないと気づいたのは、試しに持ち上げてみようと思ったときだった。
ひどく、軽かったんだ。重そうな見た目からは、想像もつかなかったくらいに。
オレの筋肉は平均的なつもりだけど、たぶん、もうすこし筋肉がない女性でも余裕で持ち上げられる。
枯れた、あるいは枯れかけの植物を持っている気分だった。これなら早く辿り着けるな。
オレはバケラウネを持ち上たまま、足早に、こっそりと自分の家へ帰っていった。
運ばれているあいだに、バケラウネは意識を失ったようなので、……いや、そもそもあっても騒ぐような機能がなさそうか。なんにせよ助かった。
◇