ID:snmyatoの記録
青のピアスと母の願い
左耳のピアスに手を伸ばす。指先に触れる、彼方の青。
何もかも失った自分に唯一残った、形あるものであり。無形の想いを繋ぐもの。
目を閉じれば思い出す。 " 可愛げのない子供 " だった、あの頃を。
-+-
ただただ、無心に。愚直に。鈍い輝きを持つ刃を振るう。振るい続ける。
長兄のように、人をまとめあげる求心力は、元より。
次兄のように、頭脳が優れている訳でもなく。
姉のように、卓越した魔法の才がある訳でもなく。
" 青 " も継げなかった、己には。剣しかないのだから――
「レオン!」
呼ぶ声に、はっと。顔を上げる。
声のした回廊のほうを見れば、長兄が手を振っていた。剣を鞘に収め、そちらへ向かう。
「兄上」
「鍛練の邪魔をしてしまって、すまないな」
深い青の目が、申し訳なさそうに伏せられた。
「大丈夫。休憩入れようと思ってたところだったし」
「そうか。良かった」
「で、どうしたんだ? 俺に何か用?」
「ああ。父上がお前のことを呼んでいた」
「父上が?」
連絡係に兄を寄越すくらいだ。恐らく私的なことなのだろうが。
「…………。」
あまり、行きたくなかった。でも、この場にも居たくなかった。
「……レオン?」
「わかった。わざわざありがとう、兄上。行ってくる」
何か言いたそうな兄から逃れるように、駆け出した。人気のない回廊を走る。
四肢が重い。大した距離ではないはずなのに、息が上がって――儘ならない感情に、小さく舌打ちした。
緩慢な歩みに切り替えてから、暫し。限られた人間しか訪れないその場所に辿り着いた。
豪奢な扉の前で深呼吸を数度、繰り返した後。意を決して口を開く。
「――父上。レオンハルトです」
「来たか。鍵は開いている。入りなさい」
促され、室内に足を踏み入れる。私室とはいえ、驚くほど物が少ない部屋。
広いその空間には、テーブルとソファ、年代物な大小のキャビネットとベッドがあるだけだ。
「そこに座ってくれ。今、茶を淹れよう」
「あ、いや……別に……」
「先程まで鍛練をしていたのだろう? 喉は乾いていないのか?」
「……う。じゃあ、いただき、ます」
「うむ。焼き菓子もあるぞ。好きなものを食べるといい」
長居はしたくないのにと。内心で溜め息を吐く。
紅茶の中に砂糖をひとつ落として。スプーンでカップの縁を沿うように、ぐるりと混ぜる。
ほろほろ、と。琥珀色に沈む白い花が、その輪郭を失っていく。
「……それで。ご用件をお聞きしても?」
程良く甘い紅茶で、喉を潤してから。話を切り出した。
「レオンハルト。お前に渡す物がある」
そう言って。父がテーブルの上に置いたのは、紺色の小箱。
開けてもいいかと目で問えば、小さな頷きが返り。箱の蓋を開けた。白く艶やかな台座に乗るは、微かな黄金が散る深い青色。
指先でそっと持ち上げたそれは、父の目と同じ色彩の石――ラピスラズリが使われたピアスだった。
「……? これは?」
「私が、お前の母――ヒルデに贈ったピアスだ」
贈り物にしては装飾のない、男が身に着けても浮かないようなシンプルな作り。
皆から伝え聞く母は、派手なものはあまり好まない性質で。石こそ最高級と呼べるものだが、これならば気に入ったのだろう。
馴染みのない、しかしよく知る魔力が。触れた指先から微かに、感じられた。
「あれは流れの者だったからな。王家の青を持たぬ故、代わりとしてこれを渡した」
「……どうして、俺に?」
「ヒルデの最期の願いで、お前に渡してほしいと」
母の最期。まだ生まれたばかりだった自分は、その記憶がない。
全く寂しくないといえば、嘘になるけれど。母の話は、父から、兄姉から、城で働く者たちから、沢山聞いていた。
曰く、騎士の誰もが敵わなかったとか。御伽噺の生き証人だとか。健啖家が過ぎて市場から食料が消えたとか。
流石に虚構だろうと思うものもあったが。そのどれもが、自分の中にいる母を形作る大事なピースだった。
「……確かに、お前は青を継ぐことはなかった。だが、」
手中にある青と同じ色が、優しく。自分を見つめる。
「アルベルト、ディートリヒ、クリスティーネ――そして、レオンハルト。お前たちは等しく愛おしい、私の大切な子だ。それを、どうか忘れないでくれ」
薄く滲む視界。吐き出したつもりの声は、喉の奥で詰まって出てこない。
知っている。解っている。ただ、素直にそれを受け取れなかっただけ。受け取る資格がないと、思っていただけで。
何も言えないまま俯いていると、頭の上に父の手が乗せられた。
その手の温かさと、優しさに。詰まっていた、ずっとずっと心の内に降り積もっていたものが。漸く、外へ。
伝えたいひとの、もとへ。
何もかも失った自分に唯一残った、形あるものであり。無形の想いを繋ぐもの。
目を閉じれば思い出す。 " 可愛げのない子供 " だった、あの頃を。
-+-
ただただ、無心に。愚直に。鈍い輝きを持つ刃を振るう。振るい続ける。
長兄のように、人をまとめあげる求心力は、元より。
次兄のように、頭脳が優れている訳でもなく。
姉のように、卓越した魔法の才がある訳でもなく。
" 青 " も継げなかった、己には。剣しかないのだから――
「レオン!」
呼ぶ声に、はっと。顔を上げる。
声のした回廊のほうを見れば、長兄が手を振っていた。剣を鞘に収め、そちらへ向かう。
「兄上」
「鍛練の邪魔をしてしまって、すまないな」
深い青の目が、申し訳なさそうに伏せられた。
「大丈夫。休憩入れようと思ってたところだったし」
「そうか。良かった」
「で、どうしたんだ? 俺に何か用?」
「ああ。父上がお前のことを呼んでいた」
「父上が?」
連絡係に兄を寄越すくらいだ。恐らく私的なことなのだろうが。
「…………。」
あまり、行きたくなかった。でも、この場にも居たくなかった。
「……レオン?」
「わかった。わざわざありがとう、兄上。行ってくる」
何か言いたそうな兄から逃れるように、駆け出した。人気のない回廊を走る。
四肢が重い。大した距離ではないはずなのに、息が上がって――儘ならない感情に、小さく舌打ちした。
緩慢な歩みに切り替えてから、暫し。限られた人間しか訪れないその場所に辿り着いた。
豪奢な扉の前で深呼吸を数度、繰り返した後。意を決して口を開く。
「――父上。レオンハルトです」
「来たか。鍵は開いている。入りなさい」
促され、室内に足を踏み入れる。私室とはいえ、驚くほど物が少ない部屋。
広いその空間には、テーブルとソファ、年代物な大小のキャビネットとベッドがあるだけだ。
「そこに座ってくれ。今、茶を淹れよう」
「あ、いや……別に……」
「先程まで鍛練をしていたのだろう? 喉は乾いていないのか?」
「……う。じゃあ、いただき、ます」
「うむ。焼き菓子もあるぞ。好きなものを食べるといい」
長居はしたくないのにと。内心で溜め息を吐く。
紅茶の中に砂糖をひとつ落として。スプーンでカップの縁を沿うように、ぐるりと混ぜる。
ほろほろ、と。琥珀色に沈む白い花が、その輪郭を失っていく。
「……それで。ご用件をお聞きしても?」
程良く甘い紅茶で、喉を潤してから。話を切り出した。
「レオンハルト。お前に渡す物がある」
そう言って。父がテーブルの上に置いたのは、紺色の小箱。
開けてもいいかと目で問えば、小さな頷きが返り。箱の蓋を開けた。白く艶やかな台座に乗るは、微かな黄金が散る深い青色。
指先でそっと持ち上げたそれは、父の目と同じ色彩の石――ラピスラズリが使われたピアスだった。
「……? これは?」
「私が、お前の母――ヒルデに贈ったピアスだ」
贈り物にしては装飾のない、男が身に着けても浮かないようなシンプルな作り。
皆から伝え聞く母は、派手なものはあまり好まない性質で。石こそ最高級と呼べるものだが、これならば気に入ったのだろう。
馴染みのない、しかしよく知る魔力が。触れた指先から微かに、感じられた。
「あれは流れの者だったからな。王家の青を持たぬ故、代わりとしてこれを渡した」
「……どうして、俺に?」
「ヒルデの最期の願いで、お前に渡してほしいと」
母の最期。まだ生まれたばかりだった自分は、その記憶がない。
全く寂しくないといえば、嘘になるけれど。母の話は、父から、兄姉から、城で働く者たちから、沢山聞いていた。
曰く、騎士の誰もが敵わなかったとか。御伽噺の生き証人だとか。健啖家が過ぎて市場から食料が消えたとか。
流石に虚構だろうと思うものもあったが。そのどれもが、自分の中にいる母を形作る大事なピースだった。
「……確かに、お前は青を継ぐことはなかった。だが、」
手中にある青と同じ色が、優しく。自分を見つめる。
「アルベルト、ディートリヒ、クリスティーネ――そして、レオンハルト。お前たちは等しく愛おしい、私の大切な子だ。それを、どうか忘れないでくれ」
薄く滲む視界。吐き出したつもりの声は、喉の奥で詰まって出てこない。
知っている。解っている。ただ、素直にそれを受け取れなかっただけ。受け取る資格がないと、思っていただけで。
何も言えないまま俯いていると、頭の上に父の手が乗せられた。
その手の温かさと、優しさに。詰まっていた、ずっとずっと心の内に降り積もっていたものが。漸く、外へ。
伝えたいひとの、もとへ。